
耳を傾けてみると・・・・・
「もしも〜し。わたし,僕。おつかれ様〜!」
結局あなたは,どちら様?

こんばんは

アロマスペースE&Rです

オープニングとはうって変わって,今日はちょっと真面目なお話を。
先日,ある学校の先生とお話する機会をいただきました

その純先生(仮名)が子どもだった頃のお話です・・・・・
クラスのお友達に,一人だけ足が不自由で足を引きずるようにして歩いているお友達,みっちゃん(仮名)がいました。
みっちゃんは生まれた時から足の具合が悪く,いろんな病院で診てもらったようですがあまり良くなりませんでした。
なので,みんなと全く同じように運動したり遊んだりすることはできませんでした。
まだ小学1年生だった純ちゃんたちはそんな事情はよく分からず,歩くのが少し不自由で移動の遅いみっちゃんを見ると,足の悪い人を差別する言葉を言ってはからかったのでした。
純ちゃんもその一人。
「みんなが言うから僕も同じように言うだけさ」今考えてみると,軽い気持ちで言っていたように思います。
そんな時みっちゃんはいつも黙ってじっと耐えているように見えました。
純ちゃんはそんなみっちゃんの姿を見て,「頑固で強い人だなぁ」と思っていました。
その日は朝から雨が降っていましたが,下校する頃にはすっかり止んで晴れていました。
純ちゃんは玄関で長靴にはきかえ,傘を手に歩き始めました。
すると校門を出たところで何人かの人たちがかたまっているのが見えました。
近くまで行くと,クラスの友達が数人でみっちゃんを取り囲み,長靴を履いた足を蹴ったり体を叩いたりしていました。
そして口々に足の不自由な人を差別する言葉をみっちゃんに浴びせかけていました。
みっちゃんはいじめられても少しぐらいのことでは泣いたりわめいたりしない芯の強い子どもでしたので,周りの子どもたちはますます面白がって差別する言葉を言ったり,激しく叩いたりしていたのです。
そして,後からその場所に移動してきた純ちゃんも,いつの間にかその輪の中に入って,みっちゃんをいじめていたのです。
その時のみっちゃんは,持っていた傘をいっぱいに広げて必死になって身を守っていました。
この事は何十年も前のことですが,純ちゃんは今でもはっきり覚えています。
そんなことがあってからしばらく後,担任の先生がクラス全員に,みっちゃんは生まれた時から足の具合が悪く,お家の人たちが病院に連れて行き診てもらったけれど良くならなかったこと,そういうみっちゃんをいじめてはいけないこと,みっちゃんが自分でできること以外で困っていることがあったら手を貸してほしいこと,一緒に遊ばなくてはいけないこと,などを真剣な表情で話してくれました。
その時の担任の先生の真剣な表情も今でもはっきり覚えています。
その後は,ひどいいじめは減っていったように思いました。
中学ではさすがに足のことでいじめるような友達はいませんでした。
みっちゃんは体も丈夫になり,むしろ他の友達よりたくましい体つきになりました。
中学を卒業してからお互いに離れ離れになったので,みっちゃんのことを思い出すこともほとんどありませんでした。
ところが純ちゃんが学校の教員になって10年ほどしたある日,街で買い物をしていてふと前の方を見てびっくりしました。
あの足が不自由だったみっちゃんではありませんか。
私は何十年前の純ちゃんに戻って,「みっちゃん」と声をかけようとしましたが,校門前でいじめたことが思い出されました。
「間違いなくみっちゃんだ。だけど・・・。」
私の方から声が掛けられませんでした。
ところが,なんとみっちゃんは
「純ちゃんだよね。学校の先生になったというじゃないか。久しぶり。俺は今このすぐ近くの会社に勤めているよ。実は足の手術を高校の時にしてね。大分良くなったよ。今日はこの後仕事があるから,失礼するよ。たまには遊びに来いや。」
と先に声をかけ,買ったものを袋に詰めるとあっという間に帰ってしまいました。
みっちゃんのさわやかな笑顔と話しぶりに比べ,声をかけられない自分が大変恥ずかしくなりました。
私は頭をガーンとハンマーで叩かれたような気持ちになりました。
その後他の友達から,みっちゃんは高校卒業後会社に勤めながら障がい者のボランティアを行っていること,得意な歌やギターを生かして老人ホームや施設などの訪問を行っていること,時には買い物から帰るお年寄りを自分の車で家まで送っていることなどをしていると教えてもらいました。
友達からのいじめにもじっと我慢していたみっちゃんは,それに耐えながらも自分を弱い立場の人の気持ちが分かる人間へと成長させていたのです。
困っている人や具合が悪い人への手助けがさっとできる人になっていたことが,あのさわやかな笑顔や話し方になっているのだと思いました。
(純先生御本人の承諾を得て掲載)
このお話を聞いて,皆さんそれぞれに思われることがあるでしょう。
みっちゃんのこと。
純ちゃんのこと。
お友達のこと。
etc.
ちなみに私が真っ先に思い浮かんだのは,みっちゃんのお母さんのこと。
担任の先生がいじめを知っているのだから,お母さんも知らないわけがありません。
そして一度や二度ではないいじめ。
愛する我が子がただいじめられるだけでも,お母さんは身を引き裂かれるような思いだというのに,みっちゃんのいじめは先天的な理由。
お母さんはどんなに切なかったことでしょう・・・・・
道を誤っていてもおかしくはない過去。
けれどもみっちゃんは,まっすぐに,そして本当の強さと優しさを知っている人間に成長していました。
そんなみっちゃんに育て上げたお母さんは,一体どんな人だったのか・・・・・
私はそんなふうに思ったのです。
私は親としてあるべき姿を考える時,一人のママのエピソードを思い出します・・・・・
他のお友達とは少し遅れて入園した5歳のお子さん。
男の子顔負けのパワーの持ち主で。
そんな娘さんがある日ママに訴えました。
「ねぇママ,今日ね,お友達にこんなこと言われたの。『おまえはもう明日から来るな!』って。」
するとママは,何て答えたと思いますか?
答えは,
「じゃあ次にまた言われたら,こう言いなさい。『お前は園長か!』ってね☆」
すると娘さんは
「あっそうか!そうするね

我が子がいじめられていると知った時,親は子どもと一緒になって,あるいは子ども以上に悲しんだり,動揺してしまいがちだけれど,
このママのように,witに富んだやり方で子どもの力になれたらなって。
いじめは絶対にいけないこと。
特に本人の努力ではどうにもならない事に関しては。
でも悲しいかな,いつの時代にも,どこに行っても,いじめっ子はいるものです。
だとしたら,必要以上に悩むよりも,強く生きる方法を教えた方が賢明かも。
精神的に強く生きる方法を。
今夜の消毒薬。
世界にたった一つのワイン(詳しくはこちら→山梨ワイン☆山形ワイン)

前回飲んだものよりも,はるかに深みが増していてビックリ

綿菓子を思い出させるような甘くどこか懐かしい香りと,葡萄の旨味をギュッと濃縮させた味わい。
ルビー色が何とも美しいワインでした

