♪あわてん坊の サンタクロース
煙突ないか~ら 驚いたよっ♪
By:こども店長
確かに,どこから入ったらいいのか焦るよね・・・
こんばんは

アロマスペースE&Rです。
日頃お客様とお話をさせていただくなかで,
「昔ピアノを習っていました」とか「今ヴァイオリン習ってます」とか,意外と皆さん音楽にかかわっていらっしゃることを知り
「いつか一緒に“音”を楽しめたらな~」と漠然とした夢を抱いていました。
その夢が今年,冬至の夜に実現!
『音を楽しむキャンドルナイト』と題して,総勢21名の皆様が集まってくださいました
ピアノ,ギター,ウクレレ,ヴァイオリン,リコーダー,合唱などなど素敵な一芸の持ち主が大集合!
日頃から弾いていらっしゃる方もいれば,小学6年生でやめた方,3年ぶりに弦を張り替えてくださった方など様々。
ちびっ子も大人も,男性も女性も大盛り上がり

皆さん美味しいお料理も本当にたくさん差し入れてくださって,まるでどこかのレストランのよう!
私もついつい楽しませていただいて,キャンドルの明かりに照らされたそんな素敵な食卓をカメラに収めるのをすっかり忘れ・・・・
電気をつけたお開きの一枚になってしまいました
ちなみに写真左上のりんごのカービングは,お客様お手製。
なんと一時間で仕上げてしまったんですって

カービングの大変さを知っているだけに,感動してしまいました!
ちなみに私の初めての作品はこちらです

↓↓↓
フルーツカービング
演奏会の始まりは,みんなで『We wish you a Merry christmas』を。
生演奏に生コーラスでなんだかとってもイイ感じ♪
パーティーの途中ではサンタさんも来ててくれて,ちびっ子たちにプレゼントを

みんな跳び上がって大喜び♪♪
こども店長の
「サンタさん,上がってってよ!」
のお誘いに,
「次のお家があるから」
と急いで去っていったサンタさんでした
夜も8時を回り,そろそろ音の出るものはおしまいの時間。
最後にみんなで『きよしこの夜』を演奏&合唱。
「きよしこの夜」と言えば,私たちの結婚式をしてくださった牧師先生がこんな話をしてくださいました↓↓↓
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♪・・・きよしこの夜 星はひかり 救いの御子は まぶねの中に 眠りたもぅ、いとやすく・・・♪
其処はオーストリアのオーベルンドルフ、
村はずれに住む若い夫婦に待望の赤ちゃんが誕生した。
深々と降り頻る雪の中、神父ヨゼフモールが腰まで雪に浸かりながら黙々と歩いていた。
若い夫婦と喜びを共にし、新しい命に祝福の祈りを捧げる為である。
辿り着いた家には暖炉に火が灯り喜びが満ちていた。
外に出ると降り頻る雪は止んでいた。
夜空には眩しいばかりに満天の星が輝いている。
幸せに満ちた喜びを共にし、祝福の祈りを捧げて安堵した神父の目に涙が溢れていた。
凛としたこの空気、何と清らかな夜だろう。
❝主がお生まれになられたあの夜も,
きっと今夜の様に、清らかであったに違いない❞
…聖夜…とは、この様な情景を言うのだろうか?
この時の感動を表したのが『きよしこの夜』。
この歌が讃美歌となって世界中で歌われる道のりに一つの秘話がある。
1818年クリスマス前夜、礼拝の準備に取り掛かった時、オルガンの管が鼠に食われているのが分かった。
しかも、修理屋はクリスマス休暇で村を離れていた。
途方に暮れた神父、その時に思い出したのが、『きよしこの夜』。
早速、伴奏担当のクルーバーに、事情を話し、その詩を見せて作曲を依頼した。
徹夜で作った曲に詩を載せて、ギターの伴奏でクリスマス礼拝を行ったのである。
『きよしこの夜』が歌われた最初のクリスマス。
…聖ニコラス教会での出来事…
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こんな素敵なエピソードが残る「きよしこの夜」。
しかも偶然?必然?にもこの日はギター伴奏つき

とっても素敵なendingになるはずでしたが・・・・
美味しいシャンパンの誘惑に負けた私は演奏前からいただいてしまい,ヴァイオリンを手に頭の中が真っ白け・・・・・
せっかく皆さん練習して来てくださったのに申し訳ない
「次回は8時を過ぎるまで絶対に飲まないぞ!」
と心に誓ったのでした
帰り際,一人の女の子が言いました。
「すんごく楽しかった!演奏するって楽しいね!」
実は今回のパーティーのきっかけはそこにありました。
けっして上手とは言えないこども店長のヴァイオリン。
でも,時に涙を流して聴いてくださる方もいらっしゃって・・・
音楽って技術も大切かもしれないけれど,それ以前に大切なのは『心』なんだ。
『真の音楽の意味』,こども店長が教えてくれたことです。
演奏する方も,聴く方も, それを楽しむ気持ち,
楽しめる気持ち・・・
そう,誰かに評価される,相手を評価するのではなく,純粋に音を楽しむということ・・・
そんな私の言葉足らずを補うかのように,これまた偶然?必然?にも,数日前に配られたスズキ・メソードの機関誌(第190号2014年12月15日発行)にこんな記事が↓↓↓
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「音楽的青二才」
(「才能教育」67号―1954年)より
鈴木鎮一
音楽が少しわかり始め,又演奏の巧拙(こうせつ)がわかり始めると,多くの人々は,音楽を聴かず批判する興味のために演奏を聴くようになってゆきやすい。
(中略)
昔のことであるが,伯林(ベルリン)での或る音楽会で,私のすぐ前にはエルマンが腰をかけ,左の方に私の先生のクリングラーや,ヴァイオリン製作家のハンミッヒやケスラーの面々が並んで,或るヴァイオリニストの演奏を聴いておられて,皆斉(ひと)しく楽しそうに聞き,心からの拍手を送り,最後までその夜の音楽の集まりを楽しそうに聴いておられた。
それは真に音楽を愛し,音楽を楽しむ人々であった。
もちろん大家達はそのヴァイオリニストの欠点も知っておりながら,その長所をもって己が喜びとし,音楽を通して共に一夜の音楽の集まりを尊敬と共に楽しみ味わっておられるのである。
今日の日本の音楽会は,そのように音楽を愛し楽しむ人々,演奏の長所を喜び尊敬する人が少ない。
他人の欠点を探しに音楽会へ出かけて行くかのような,音楽的青二才が極めて多いのは,情けない傾向である。
能力が低いくせに,少しわかりかけた人々が,音楽を忘れ,他人の欠点をみつけて己を高く評価しているような情けない状態である。
音楽だけに現れる傾向ではなく,日常生活の全てに同じようなことが言えよう。
他人の欠点ばかりを指摘し他人を低し,としているかの如き人々は,自分が如何(いか)に低いかを知らない。
他人の優れたところを見る眼,即ち心が育っていない人々の生活態度は,音楽的青二才の人々の態度と同じようである。
音楽を愛し,音楽を共に楽しむことが忘れられては,意味をなさないではないか。
下手でも,子供達が一生懸命に弾こうとしている心だけでも高く評価出来るではないか。一笑に附さないで,共に喜んで,共に音楽を楽しむことこそ,美しい楽しい生活の潤いとなってゆく。
大家の演奏を,しかも少しばかりを聴いて「もうわかった」と言って出て行くような生意気な,しかも音楽を少しも愛さない,能力の低い人々に,生活の喜び,潤いがある筈(はず)がないのである。勿論成長もない。
能力の高い,極めて優れた人々は,共に生き,共に喜び,共に育ち,共に楽しむ生き方をしているのである。
生きる喜びを,どこにでも見出す能力にまで達している人々であるからであろう。
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(原文のまま)
「すんごく楽しかった!演奏するって楽しいね!」
そう言ってくれた少女は,私のこの想いをしっかりと受け取ってくれました。
そして少女にそんな気持ちを抱かせた参加者の皆さんは,まさに鈴木鎮一先生のおっしゃる人々だったんですね
参加者の皆さん,このたびは師走のお忙しい時期に,思いっきり行き当たりばったりのイベントにお越しくださいまして誠にありがとうございます。
「やるよ!」の声に「行くよ!」とすぐお応えくださる皆様のノリのよさ,心の底から感謝しております!
お陰様で,とても楽しくて心温まるひと時を過ごすことができました
もうお気づきかと存じますが・・・
「
第1回 音を楽しむキャンドルナイト」ということは,「第2回」もあるかも!?
「実家に置き忘れたままのあの楽器,もう一度触れてみようかな・・・」
そう思われたそこのあなた!
楽しみにお待ちしております
ご来場ありがとうございました! (2018-10-26 05:48)
第10回こども病院祭に参加します! (2018-09-21 06:10)
家族。 (2017-10-17 13:31)
第9回こども病院祭に参加します! (2017-10-13 14:40)
新年のご挨拶 (2017-01-01 00:49)
ご来場ありがとうございました。 (2016-11-04 13:01)